2008-02-19
アシュターンガヨーガ 1)ヤマ
★1.ヤマ(制戒または禁戒)★
社会的な規範。基本的な戒律で、人類共通の守るべき規律です。
これが守られなければ、社会的な混乱が起こるのは想像にたやすいでしょう。
(1)アヒムサー(不殺生・非暴力)
殺さないこと。
人に限らず、あらゆる生物に対して、行動のみならず、思想や言葉によって危害を与えないこと。
自分に害を与える人を殺したいという妄想は、苦と無知の結果であり、
終わりの無い輪廻にとらわれるといわれています。
また、暴力的な言葉を発することもアヒムサーに反することです。
実際に行動しなくても、そのように考えるだけで自然と暴力的な雰囲気が漂うのでしょう。
マハーバーラタなど古典の中には「思考のように速く」というフレーズがよく出てきます。
また、聖者や神々が呪いをかけてそれが実現するというのもよくあります。
想念と言霊は現代でも再び注目されてきていますが、
それは古代からの真理であるのでしょう。
ヨーガスートラ第2章35偈には
「不殺生が確立すればその人の前では(すべての生類が)敵意を捨てる。」
と書かれています。
アヒムサーとは愛の心であるという解釈もあります。
(2)サティヤ(真実・正直)
ムンダカ・ウパニシャッドの中の「サティヤム・エーヴァ・ジャヤテー(真実のみが勝つ)」という一文は、
現在のインド国家の紋章であるアショーカ王の獅子柱頭に刻まれています。
「真実」とはリグ・ヴェーダ(紀元前1200年ころ編纂されたインド最古の文献)以来、
インドでは重要な概念となっています。
真実の反意語は虚偽で、神は虚偽を憎むと言われています。
神々にいたる道は真実によって作り出されていると言われています。
嘘をつかないということだけではなく、心からの誠実さと愛を実践することです。
偽りから離れ、真実に基づく生活を送る人には、本当に必要なものが必要なとき、
必要なだけ与えられます。
また、サティヤとは「真実である」と同時に「実現される」と言う意味もあります。
サティヤを実践する人の口から出た言葉は実現されるのです。
(3)アステーヤ(不盗)
盗まないこと。
他人の所有物を盗まないことはもちろん、それを欲することも戒めています。
また、本当に必要でないものを所有することも盗みと同じとされています。
アステーヤが確立した人の元には、あらゆる方向から宝石が近づいてくるといわれています。
この場合の宝石とは、文字通りの宝石というよりも、貴重なもの、貴重なこと、
価値のある人や知識などを例えていると思われます。
(4)ブラフマチャリヤ(不淫・自己抑制)
愛欲、情欲などを抑え、すべての中に神性を認め、体と心と言葉を自己抑制すること。
ブラフマチャリヤが確立した人は、あらゆる不正と戦うエネルギー、
勇気、知性を獲得するといわれています。
(5)アパリグラハ(無所有)
パリグラハとは、集め貯えること。
これに否定辞のアがつくことで、不必要なものを集めたり貯えたりしないよう戒めています。
また、それらのものに執着しないということでもあります。
私たちは、生まれたときには何ももたずにこの世にやってきました。
そして、あの世に帰るときにも、たった1円さえ持って行くことはできません。
真に自分のものといえるのは、愛と知識と体験など形にはできないものではないでしょうか。
これらのみを魂と共にあの世に持ち帰ることができるのです。
善い行いは天の銀行に貯蓄され、悪い行いは差し引かれるということですので、
それらが本当の財産であり、物質的なものは一時的な借り物と考えられます。
それを貸してくれるのは天とか神とか自然と呼ばれる超越的な存在です。
必要なときに与えられ、不要になればお返しするのが自然の摂理なのだと思いました。
レンタルビデオは貸し出し期間中は手元にあり、好きなだけ視聴することができますし、
棚においてあればまるで自分の物のように見えます。
しかし、返却期限にはお返ししなければなりません。
そのまま持っていれば延滞料がかかりますし、返さなければ盗みとなります。
同じように、借りている間は活用し返すときがくれば執着することなく手放す、
というのがアパリグラハと考えます。
執着とは不安な心から起こります。
これがなかったらどうしよう、とかイザというときないと困るなど。
しかし、必要なものが必要なとき必要なだけ自然と与えられることを信頼すれば、
不安が無くなり執着することもなくなります。
以上の5項目が、アシュターンガヨーガの第一段階です。
これらの戒めを実践するには、人間の6つのドーシャ(煩悩)
〜 カーマ(愛欲)・クローダ(怒り)・ローバ(貪欲)・モーハ(迷妄)・
マダ(傲慢)・マスチャリヤ(嫉妬)〜をコントロールすることが大切だと思われます。
続く
※この記事は他社ブログから移転してきました。
社会的な規範。基本的な戒律で、人類共通の守るべき規律です。
これが守られなければ、社会的な混乱が起こるのは想像にたやすいでしょう。
(1)アヒムサー(不殺生・非暴力)
殺さないこと。
人に限らず、あらゆる生物に対して、行動のみならず、思想や言葉によって危害を与えないこと。
自分に害を与える人を殺したいという妄想は、苦と無知の結果であり、
終わりの無い輪廻にとらわれるといわれています。
また、暴力的な言葉を発することもアヒムサーに反することです。
実際に行動しなくても、そのように考えるだけで自然と暴力的な雰囲気が漂うのでしょう。
マハーバーラタなど古典の中には「思考のように速く」というフレーズがよく出てきます。
また、聖者や神々が呪いをかけてそれが実現するというのもよくあります。
想念と言霊は現代でも再び注目されてきていますが、
それは古代からの真理であるのでしょう。
ヨーガスートラ第2章35偈には
「不殺生が確立すればその人の前では(すべての生類が)敵意を捨てる。」
と書かれています。
アヒムサーとは愛の心であるという解釈もあります。
(2)サティヤ(真実・正直)
ムンダカ・ウパニシャッドの中の「サティヤム・エーヴァ・ジャヤテー(真実のみが勝つ)」という一文は、
現在のインド国家の紋章であるアショーカ王の獅子柱頭に刻まれています。
「真実」とはリグ・ヴェーダ(紀元前1200年ころ編纂されたインド最古の文献)以来、
インドでは重要な概念となっています。
真実の反意語は虚偽で、神は虚偽を憎むと言われています。
神々にいたる道は真実によって作り出されていると言われています。
嘘をつかないということだけではなく、心からの誠実さと愛を実践することです。
偽りから離れ、真実に基づく生活を送る人には、本当に必要なものが必要なとき、
必要なだけ与えられます。
また、サティヤとは「真実である」と同時に「実現される」と言う意味もあります。
サティヤを実践する人の口から出た言葉は実現されるのです。
(3)アステーヤ(不盗)
盗まないこと。
他人の所有物を盗まないことはもちろん、それを欲することも戒めています。
また、本当に必要でないものを所有することも盗みと同じとされています。
アステーヤが確立した人の元には、あらゆる方向から宝石が近づいてくるといわれています。
この場合の宝石とは、文字通りの宝石というよりも、貴重なもの、貴重なこと、
価値のある人や知識などを例えていると思われます。
(4)ブラフマチャリヤ(不淫・自己抑制)
愛欲、情欲などを抑え、すべての中に神性を認め、体と心と言葉を自己抑制すること。
ブラフマチャリヤが確立した人は、あらゆる不正と戦うエネルギー、
勇気、知性を獲得するといわれています。
(5)アパリグラハ(無所有)
パリグラハとは、集め貯えること。
これに否定辞のアがつくことで、不必要なものを集めたり貯えたりしないよう戒めています。
また、それらのものに執着しないということでもあります。
私たちは、生まれたときには何ももたずにこの世にやってきました。
そして、あの世に帰るときにも、たった1円さえ持って行くことはできません。
真に自分のものといえるのは、愛と知識と体験など形にはできないものではないでしょうか。
これらのみを魂と共にあの世に持ち帰ることができるのです。
善い行いは天の銀行に貯蓄され、悪い行いは差し引かれるということですので、
それらが本当の財産であり、物質的なものは一時的な借り物と考えられます。
それを貸してくれるのは天とか神とか自然と呼ばれる超越的な存在です。
必要なときに与えられ、不要になればお返しするのが自然の摂理なのだと思いました。
レンタルビデオは貸し出し期間中は手元にあり、好きなだけ視聴することができますし、
棚においてあればまるで自分の物のように見えます。
しかし、返却期限にはお返ししなければなりません。
そのまま持っていれば延滞料がかかりますし、返さなければ盗みとなります。
同じように、借りている間は活用し返すときがくれば執着することなく手放す、
というのがアパリグラハと考えます。
執着とは不安な心から起こります。
これがなかったらどうしよう、とかイザというときないと困るなど。
しかし、必要なものが必要なとき必要なだけ自然と与えられることを信頼すれば、
不安が無くなり執着することもなくなります。
以上の5項目が、アシュターンガヨーガの第一段階です。
これらの戒めを実践するには、人間の6つのドーシャ(煩悩)
〜 カーマ(愛欲)・クローダ(怒り)・ローバ(貪欲)・モーハ(迷妄)・
マダ(傲慢)・マスチャリヤ(嫉妬)〜をコントロールすることが大切だと思われます。
続く
※この記事は他社ブログから移転してきました。

