2007-10-21
インド密教の成立と展開
「密教」と聞いて、ある人は日本で発展した天台あるいは真言密教を思い浮かべ、
またある人はチベット密教を思い浮かべるかもしれません。
このように密教は現代の私たちにも身近な存在といえるでしょう。
前者は平安初期に伝来して以来、日本人の文化や生活に深く入り込んでいるし、
後者はダライ・ラマ師の講演活動やノーベル平和賞の受賞、
また精神世界や神秘思想に対して世界的に関心が高まる中、大いに注目されています。
これらの密教は元々インドで成立したものですが、中国経由で日本に伝えられた「日本密教」と、
インド後期密教が直接伝えられた「チベット密教」とでは、その中身に大きな違いが見られます。
そこで、これらの源であるインド密教について、その成立と発展の過程を辿ってみることにします。
密教の起こりは、ヒンドゥータントリズムの影響を受け、
大乗仏教から次第に発展していったと考えられています。
インド仏教史において密教は後期仏教に位置づけられ、その中で3期に分けられています。
まず、初期密教は所作(クリヤー)タントラの段階で、「雑密(ぞうみつ)」と呼ばれています。
4世紀ごろから萌芽が見られるようになり、陀羅尼(だらに)や真言(しんごん)を唱え、
神仏の加護を願い、祈祷を行うというもので、主に現世利益に比重が置かれていました。
6世紀後半には、アタルヴァヴェーダの呪術的儀礼が取り入れられ、
密教としてはっきりとした形ができてきたと考えられています。
続く中期密教は、日本で「純密(じゅんみつ)」と呼ばれています。
『大日経』『金剛頂経』が成立し密教が体系化された時期でもあります。
空海によって日本に伝えられた密教はこの段階のものです。
『大日経』では、毘盧遮那如来(びるしゃなにょらい)がその中心的な仏です。
大日如来とも呼ばれ、太陽の光が遍く世界を照らすように
智慧の光で衆生を照らし救済するとされています。
『大日経』の教えは行(チャリヤー)タントラと呼ばれ、
胎蔵界曼荼羅は、その教えを図像化したものです。
次いで成立したのが『金剛頂経』です。
『大日経』と同じく大日如来を中心にしてますが、
瑜伽(ヨーガ)タントラと呼ばれるように、ヨーガの実践に重点が置かれました。
瑜伽行とは、身・口・意の三密業により自分の心を観想し、
それによって自己と大日如来が一体となる「入我我入」をめざす行法です。
「身」は身体つまり手で印を結ぶ(ムドラー)動作、「口」は陀羅尼や真言を口で唱えること、
「意」は心の中に仏をイメージすること。
これら3つの業(行為)によって瑜伽法の成就を目指したもので、
金剛界曼荼羅はその教えを図像化したものです。
『大日経』が衆生救済、菩提心、他者への抜苦与楽を目指したのに対し、
『金剛頂経』では絶対者との合一(ヨーガ)、その結果としての悟りが重要視されています。
『金剛頂経』は全部で十八会ありますが、その第六会にあたる『理趣経』において
「男女の性的結合の快楽の境地が菩薩の境地である」と説かれています。
この思想は次に現れる後期密教に続き、さらに発展していきます。
後期密教は無上瑜伽タントラと呼ばれ、日本には伝えられることが無かった思想です。
中期密教までと比べると性的なヨーガが重視されており、さらに秘密性が強まったといえるでしょう。
タントラ仏教とも呼ばれていて、現在ではチベット仏教にその姿を見ることができます。
方便(実践)を主とする父タントラの代表的な経典は『秘密集会タントラ』で、
般若(智慧)を主とする母タントラの代表経典は『呼金剛(ヘーヴァジュラ)タントラ』です。
『秘密集会タントラ』で示されている教えは、
物質世界の一切が仏であり、輪廻する衆生と共に曼荼羅を構成していることを観想し、
執着から離れること。これを「生起次第」といいます。
一方、『呼金剛(ヘーヴァジュラ)タントラ』ではヒンドゥー教シャクティ派の影響を受け、
ハタヨーガが取り入れられ、呼吸や性エネルギーをコントロールして仏と一体化することを
目指しました。これを「究竟次第」といいます。
インドにおける実際の聖地とその聖地を身体上になぞらえて巡る「聖地巡礼」による自己浄化、
人体内に存在するとされる、4つのチャクラと3つのナディー(脈管)を通して
エネルギーを上昇させ悟りの完成を目指した「四輪三脈の身体観」など
その行法は極めて独特なものであったとされています。
さらに、この二つを統合して11世紀ごろに成立したと考えられているのが
最終段階の密教『時輪(カーラチャクラ)タントラ』です。
ここでは般若(智慧)と方便(実践)の不二(相対して見えるが実は同一である)や、
本初仏(如来を超える根源的な存在)という概念が説かれていることに注目されています。
この最後期の『時輪(カーラチャクラ)タントラ』については、長く秘密とされていたことから
タントラ文献の中でも、まだ十分に解明されていない部分が多いようです。
さて、その後インドにおける仏教は徐々にその独自性を失い、教団が崩壊し、
信者はヒンドゥー教に吸収され、ついに1203年イスラムの進攻により滅亡してしまいました。
ここに、仏教はその発祥地であるインドから完全に姿を消すことになったのでした。
以上、インド密教の成立と展開について順を追って述べてきました。
簡単ではありますが、各段階においてどのように成立し、展開され、
次の段階に受け継がれて行ったのか概観することができたのではないかと思います。
参考文献
金岡秀友.『アジア仏教史 インド編IV 密教〈最後の仏教〉』佼成出版社,1974年
田中公明.『チベット密教』春秋社,1993年
西尾秀生.『ヒンドゥー教と仏教 比較宗教の視点から』ナカニシヤ出版,2001年
早島鏡正・高崎直道・原実・前田専学.『インド思想史』東京大学出版会,1982年
※この記事は管理人が某所に提出したレポートの文章に加筆修正したものです。
またある人はチベット密教を思い浮かべるかもしれません。
このように密教は現代の私たちにも身近な存在といえるでしょう。
前者は平安初期に伝来して以来、日本人の文化や生活に深く入り込んでいるし、
後者はダライ・ラマ師の講演活動やノーベル平和賞の受賞、
また精神世界や神秘思想に対して世界的に関心が高まる中、大いに注目されています。
これらの密教は元々インドで成立したものですが、中国経由で日本に伝えられた「日本密教」と、
インド後期密教が直接伝えられた「チベット密教」とでは、その中身に大きな違いが見られます。
そこで、これらの源であるインド密教について、その成立と発展の過程を辿ってみることにします。
密教の起こりは、ヒンドゥータントリズムの影響を受け、
大乗仏教から次第に発展していったと考えられています。
インド仏教史において密教は後期仏教に位置づけられ、その中で3期に分けられています。
まず、初期密教は所作(クリヤー)タントラの段階で、「雑密(ぞうみつ)」と呼ばれています。
4世紀ごろから萌芽が見られるようになり、陀羅尼(だらに)や真言(しんごん)を唱え、
神仏の加護を願い、祈祷を行うというもので、主に現世利益に比重が置かれていました。
6世紀後半には、アタルヴァヴェーダの呪術的儀礼が取り入れられ、
密教としてはっきりとした形ができてきたと考えられています。
続く中期密教は、日本で「純密(じゅんみつ)」と呼ばれています。
『大日経』『金剛頂経』が成立し密教が体系化された時期でもあります。
空海によって日本に伝えられた密教はこの段階のものです。
『大日経』では、毘盧遮那如来(びるしゃなにょらい)がその中心的な仏です。
大日如来とも呼ばれ、太陽の光が遍く世界を照らすように
智慧の光で衆生を照らし救済するとされています。
『大日経』の教えは行(チャリヤー)タントラと呼ばれ、
胎蔵界曼荼羅は、その教えを図像化したものです。
次いで成立したのが『金剛頂経』です。
『大日経』と同じく大日如来を中心にしてますが、
瑜伽(ヨーガ)タントラと呼ばれるように、ヨーガの実践に重点が置かれました。
瑜伽行とは、身・口・意の三密業により自分の心を観想し、
それによって自己と大日如来が一体となる「入我我入」をめざす行法です。
「身」は身体つまり手で印を結ぶ(ムドラー)動作、「口」は陀羅尼や真言を口で唱えること、
「意」は心の中に仏をイメージすること。
これら3つの業(行為)によって瑜伽法の成就を目指したもので、
金剛界曼荼羅はその教えを図像化したものです。
『大日経』が衆生救済、菩提心、他者への抜苦与楽を目指したのに対し、
『金剛頂経』では絶対者との合一(ヨーガ)、その結果としての悟りが重要視されています。
『金剛頂経』は全部で十八会ありますが、その第六会にあたる『理趣経』において
「男女の性的結合の快楽の境地が菩薩の境地である」と説かれています。
この思想は次に現れる後期密教に続き、さらに発展していきます。
後期密教は無上瑜伽タントラと呼ばれ、日本には伝えられることが無かった思想です。
中期密教までと比べると性的なヨーガが重視されており、さらに秘密性が強まったといえるでしょう。
タントラ仏教とも呼ばれていて、現在ではチベット仏教にその姿を見ることができます。
方便(実践)を主とする父タントラの代表的な経典は『秘密集会タントラ』で、
般若(智慧)を主とする母タントラの代表経典は『呼金剛(ヘーヴァジュラ)タントラ』です。
『秘密集会タントラ』で示されている教えは、
物質世界の一切が仏であり、輪廻する衆生と共に曼荼羅を構成していることを観想し、
執着から離れること。これを「生起次第」といいます。
一方、『呼金剛(ヘーヴァジュラ)タントラ』ではヒンドゥー教シャクティ派の影響を受け、
ハタヨーガが取り入れられ、呼吸や性エネルギーをコントロールして仏と一体化することを
目指しました。これを「究竟次第」といいます。
インドにおける実際の聖地とその聖地を身体上になぞらえて巡る「聖地巡礼」による自己浄化、
人体内に存在するとされる、4つのチャクラと3つのナディー(脈管)を通して
エネルギーを上昇させ悟りの完成を目指した「四輪三脈の身体観」など
その行法は極めて独特なものであったとされています。
さらに、この二つを統合して11世紀ごろに成立したと考えられているのが
最終段階の密教『時輪(カーラチャクラ)タントラ』です。
ここでは般若(智慧)と方便(実践)の不二(相対して見えるが実は同一である)や、
本初仏(如来を超える根源的な存在)という概念が説かれていることに注目されています。
この最後期の『時輪(カーラチャクラ)タントラ』については、長く秘密とされていたことから
タントラ文献の中でも、まだ十分に解明されていない部分が多いようです。
さて、その後インドにおける仏教は徐々にその独自性を失い、教団が崩壊し、
信者はヒンドゥー教に吸収され、ついに1203年イスラムの進攻により滅亡してしまいました。
ここに、仏教はその発祥地であるインドから完全に姿を消すことになったのでした。
以上、インド密教の成立と展開について順を追って述べてきました。
簡単ではありますが、各段階においてどのように成立し、展開され、
次の段階に受け継がれて行ったのか概観することができたのではないかと思います。
参考文献
金岡秀友.『アジア仏教史 インド編IV 密教〈最後の仏教〉』佼成出版社,1974年
田中公明.『チベット密教』春秋社,1993年
西尾秀生.『ヒンドゥー教と仏教 比較宗教の視点から』ナカニシヤ出版,2001年
早島鏡正・高崎直道・原実・前田専学.『インド思想史』東京大学出版会,1982年
※この記事は管理人が某所に提出したレポートの文章に加筆修正したものです。






